長野県西部地震後を視察
10月19日に砂防友の会で、30年前に御嶽山付近でおきた長野県西部地震(1984年、M6.8、震源深さ約2kmの直下型、震源は御嶽山南面山腹)のその後を視察してきました。
この地震では、山体崩壊(御岳崩れ)や崖崩れが発生し、死者29名、家屋全半壊87軒、道路の損壊など多くの被害が出ました。
山体崩壊は8合目付近の南斜面、幅450m、深さ180m、およそ3600万立米の土砂が時速80kmで岩雪崩のように落ち、御嶽山は火山の山であるので火山灰、溶岩、軽石などの層でできており、前日の雨で水を吸って滑り面が緩んでいた状態で地震が引き金になって崩れました。
当時の写真がはってあるので比べてみればその変化が分かります(上画像)。中央の尾根上の山の右側が伝上川、左側が濁川、その合流点付近に濁川温泉があり釣り人などが利用していました。
宿を営んでいた夫婦、子供などは行方不明のままです。伝上川の上流が崩壊しましたが、土石流は中央の山を乗り越えて濁川に達し、また伝上川の右上に見える平らの部分も抉り取って流れたあとがよく分かります。災害後はハンノキなどを植林したそうです。
現在では治山ダムが何基も入っていますが、地元の案内の人の説明では、「大きな新設堰堤(ダム)も殆ど土砂で埋まり落差を感じさせないくらい埋まっており、効果があるか心配になる」と話していました。御嶽山の山腹は当然崩れやすい斜面をつくっており、再度地震や大雨が降れば大きく崩れることは容易に想像できます。
上画像は今の河床高より30mほど高いところを土石流が走ったあとが見られます。
上画像は滝越し上流の山腹崩壊でせき止められた天然ダム、今ではその美しさの写真をとりに季節ごとに人が来る名所となっているといいます。ちなみに「滝越し」という地名は、昔大滝川が山腹崩壊、土石流の働きで埋まり大きな滝がきていたことがでその由来であるということです。当然今後も火山の山の頂では様々な土砂流出や山腹崩壊が起こる可能性はあります。
また、去年の御岳噴火の影響で観光やスキー客などが減り大変なようです。昼飯は滝越しの三浦屋旅館でお世話になってきました。キノコシーズンでもありマイタケなどの味噌汁がおいしかったです。
このほか今回は一般車が入れない三浦ダムの見学なども合わせて行いました。